「イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。」(9節)
士師記には一つのサイクルがあります。まず「背信」。
「イスラエル人は、主の目の前に悪を行ない、彼らの神、主を忘れ」(7節)。
その結果、彼らは蒔いた種を刈り取り、他国の支配に屈します。何年間かの苦しみの後、人々は神に叫び求めます。神は彼らの叫びを聞かれ、士師と呼ばれる人々を起こされ、彼らを救います。(この箇所ではオテニエル)
「しかし、さばきつかさ(士師)が死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行ないや、頑迷な生き方を捨てなかった。」(2:19)
このサイクルが繰り返されます。このサイクルから解放される方法が聖霊です。
「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ8:2)