「彼女が、『サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。』と言ったとき、サムソンは眠りからさめて、『今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう。』と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった。」(20節)
聖書学者の鍋谷師はこう言っています。
「淫乱と好色のうちに異国の女と戯れるサムソンは、祈りのうちに神と交わることを忘れ、また、ナジル人として召されていることの自覚も失っていた」。
サムソンは本来ならばユダヤ人の歴史の中で英雄になれる可能性をもった人でした。しかし、彼は神を忘れ、快楽を優先してしまったために、せっかくの人生を無駄にしてしまいました。残念ながら、今も同じことが起こっています。せっかく神から与えられている可能性を、一時的な快楽のために無駄にしてしまっている人たちがいます。サムソンのように取り返しがつかなくなる前に、神のもとに立ち返ることができますように。