「それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」(5節)
私たちの持つ信仰は、神の力にささえられる必要があります。自分の努力で何とかしようとすると、私たちは自分たちの欠けを隠そうと演じるようになります。もしくは、不正直になります。神の力にささえられるという意味は、イエス・キリストの十字架の恵みの中に生きるということです。日々、イエス・キリストが必要であることを認め、イエス・キリストの十字架の御業を感謝しつつ、へりくだって生きることです。そのためには、日々、イエス・キリストとの関係を築く必要があります。イエス・キリストが必要であることを認め、日々、呼び求める必要があります。使徒パウロも「弱く、恐れおののいていました」(3節)という時がありました。しかし、自分の弱さの中で、神の力が現されるのを体験しました。