「これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(9節)
使徒パウロはアジアで体験した苦しみに言及し、自分の無力さを痛いほど思い知らされ、自分の許容範囲を超え、死を覚悟したと言います。ところがパウロはこのように告白します。
「しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神様にお任せしたからです。救い出すことができるのは、神様だけです。」(LB)
パウロは、自分ではどうすることもできないがゆえに、神様に頼ることを強制的に学んだと言うのです。神様は時に、私たちが自分自身ではなく、神により頼むことを学ぶために、私たちにはどうしようもないような状況に追い込まれることを許可します。私たちはいつになったらパウロのように謙そんになって、キリストを離れては何もできない(ヨハネ15:5)と認めることができるのでしょうか。