「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。」(5,6節)
使徒パウロと聞くと、私たちとは違う屈強なスーパー・クリスチャンをイメージします。しかし、使徒パウロもまた、私たちと何も変わらない普通の人でした。彼もまた不安を感じ、恐れを感じ、落ち込みました。しかし、
「その時、神様は意気消沈しているものを励まし、テトスの帰還によって元気づけてくださいました。」(LB)
聖書の神は、意気消沈しているものを励ますお方です。今も同じように、神様は私たちを励ましてくださるお方です。ダビデもこう告白しています。
「神様だけが、今は恥じてうなだれている私の頭を、高く持ち上げてくださるお方です。」(詩3:3LB)