2サムエル 1章

「ダビデは言った。『主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。』」(14節)

ダビデの命を狙っていたサウル王にとどめを刺した人物に、ダビデは感謝するどころか、神の油注ぎを軽視したと裁きました。神の霊はすでにサウル王から離れていましたが、ダビデはまだサウルがイスラエルの王として油注がれたことを尊敬していたからです。この姿勢は大事です。どんな人物であろうと、牧師、伝道者は神様に教職者として油注がれた人たちです。彼らが誤ったことを行うならば、それは悲劇であり、本当に悲しいことです。しかし、私たちがその人物を引きずりおろす必要はありません。神が必ずされるからです。聖書は言います。

「私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」(ヤコブ3:1)

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