「アハブは不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家にはいった。イズレエル人ナボテが彼に、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲れません。」と言ったからである。彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった。」(4節)
アハブ王は自分の思い通りに欲しいものが手に入らなかったため、子どものように不機嫌になりました。貪りは人を、満足ができない惨めな存在にし、とんでもない悪に導きます。サタンの嘘は、
「もし、これがあれば、あなたは幸せになれる」
というものです。しかし神との関係以外に私たちを満足させるものはありません。使徒パウロは言いました。
「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(ピリピ4:11)
「学びました」ということは、あのパウロでさえも、以前にそれを知らなかったということでもあります。スポルジョン師はこう言います。
「兄弟よ。あなたがつぶやくのは無理もないが、つぶやきをやめて満ち足りることを学ぶ大学の勤勉な学生であれ。」