「アハズ王がアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。すると、アハズ王は、詳細な作り方のついた、祭壇の図面とその模型を、祭司ウリヤに送った。」(10節)
アハズ王は、アッシリヤ帝国の力の背後に、彼らの神々の存在があると考えました。それで、アッシリヤ帝国と同じ神々を礼拝すれば、イスラエルの国も繁栄すると短絡的に考えます。悲しいことに、祭司たちもそれに従い、生ける神の神殿はアッシリヤ帝国の神々のために変えられてしまいます。問題の根底にあるのは、神を神として認めず、自分の利益のために利用できるかどうかとしか見ていないという姿勢です。そのように自分が利用できる範囲で神を認めようとするならば、結局自分の思い通りにならなければ、簡単に神を乗り換えていいと思うようになります。十字架にかかられた生ける神は、私たちの思い通りにはなりません。神は神であり、人は人です。