2歴代誌 6章

「それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」(18節)

聖書の神殿は、神を閉じ込められる場所という意味ではありません。神は時間や場所に限定できるお方ではありません。ソロモンもそのことを自覚していました。ですからソロモンにとって神殿とは天と地が重なる「祈りの家」でした。教会も「祈りの家」です。教会の中に神を閉じ込めることはできませんが、神はご自身の臨在を教会の賛美と祈りの中に現してくださいます。ですから使徒パウロは言います。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(Ⅰコリント3:16)

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)

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