「しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。」(12,13節)
マナセ王は神に背を向け、神が忌み嫌うことを行い続けました。
10節にはこう記されています。
「主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった。」
行き着くところまで行ってしまったマナセ王は、バビロンへ引かれていきます。
しかし、そこで彼は神の前にへりくだり、悔い改めて神に祈りました。
驚くことは、神は彼の切なる祈りを聞き、彼にセカンドチャンスを与えます。
聖書は言います。
「なぜ、あなたがたは死のうとするのか。わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。――神である主の御告げ。――だから、悔い改めて、生きよ。」(エゼキエル18:31,32)