「しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」(2節)
指導的な立場に立つ人は、高い道徳が要求されます。人を教える人も、高い道徳が要求されます。このエズラ書では混血の問題が扱われていますが、新約聖書の光に照らすならば、こう言い換えることができると思います。
「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。」(ガラテヤ5:16,17)
自分の欲望に生きる生き方と、聖霊に導かれる生き方は共存することができないということだと思います。もし、指導的な立場の人がいつも自分の利益しか考えていなければ、その共同体は悲劇です。指導的な立場にある人は、特に、聖霊の導きを求めて謙遜に生きる姿勢が求められます。指導者たちのために祈りましょう。