ネヘミヤ 10章

「こうして私たちは、私たちの神の宮をなおざりにしないのである。」(39節)

LBでは、今日の箇所をこう訳しています。

「このように、私たちは神殿をなおざりにしないことで一致したのです。」

私たちは信仰を個人的なものとしすぎる傾向があると思います。もちろん、イエス・キリストを自分の救い主として信じ、受け入れることから信仰生活は始まります。しかし、それはまた信仰の共同体である「キリストのからだ」である教会の一員になるという意味があります。教会をなおざりにした信仰生活というのは、聖書的にはありえません。イスラエルの人々は、自分と神との関係が大事だから、神殿はどうでもいいとはしませんでした。詩篇にもこういう箇所があります。

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(133:1新共同訳)

何ができなくても、教会で共に座って礼拝を神様に捧げるだけでも、大切なことです。

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