エステル 3章

「それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。」(2節)

これは、ただ単にお辞儀をしなかったという意味でなく、人間を神として礼拝しなかったということです。歴史を通じて多くのクリスチャンたちが信仰のために殉教していきました。戦時中の日本でも、多くのクリスチャンが殉教しました。

マルチン・ルターはかつて言いました。

「ヴィッテンベルグの屋根の瓦がみなサタンでも、我、ここに立つ。」

ひとりぼっちでも、味方が誰一人いなくても、信仰に堅く立つことは大事なことです。信仰の先輩達のように、イエス・キリストは、命にもまさるほどの存在でしょうか?私たちも歌いたいと思います。

「たとえ誰も私についてこなくても、私はそれでも主についていく」

(Though no one follow me, still I will follow.)

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