「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」(10,11節)
苦難を否定的に捉える現代社会では理解しがたい内容ですが、LBではこう訳しています。
「私は今、ほかのことをいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。つまり、真にキリストを知ること、キリストを復活させた力を、この身をもって体験すること、そして、キリストと共に苦しみ、また死ぬとはどういうことかを知ることです。死者の中から復活した、生き生きとした新しいいのちに生きる者となるためには、どんな犠牲もいといません。」
「キリストの苦しみにあずかること」「キリストと共に苦しみ」と訳された単語は、「キリストの苦しみの交わり(コイノニア)」という単語です。苦しみに与った者こそ、人知を超えた聖霊の臨在を体験した信仰の仲間としての一体感を体験します。