「彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。」(30節)
列王記の最後の章は、バビロン帝国によるエルサレムの包囲、陥落という悲劇が記されているのにも関わらず、最後の節は、何か希望を与えてくれます。ネブカデネザル王の死後、エビル・メロダク王は、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、親切にし、厚遇しました。「王は、エホヤキンが生きている間中、毎日の生活費を支給したのです。」(LB)榎本師はこの箇所に関してこんなコメントをしています。「私たちにとって大切なことは現実を正しく把握することと共に、現実を支配したもう神を見失わないことである。そのときヒステリックな悲観主義にも、無責任な楽観主義にもなることはない。現実をしっかりと受けとめながら、それがどうあろうとも、なおそこで希望をもって生きることができるのである。」エホヤキン王は、自分の愚かな行動を悔いて悲観的に過ごしていたのでしょうか?主は望みの神、必ず希望をくださいます。