「悪者どもの光は消え、その火の炎も輝かない。」(5節)
ヨブの友人ビルダデは、ヨブが悪いと納得させようとします。LBではこのように訳しています。
「あんたが繁栄しなかったとしたら、それはあんたが悪人だったからだ。炎が消えて当然だ。」
これは、苦難の中にいる人に、何の慰めにもなりません。ビルダデは、「因果応報」という自分の人生哲学を守るために、苦難にあえぐヨブをどん底に落としました。自分の人生哲学を貫き通すことと、苦難の中に落ち込む人を慰めること、どちらが大事でしょうか。イエス様は後者を選びました。真理を曲げたわけではありませんが、ビルダデとは違い、共に泣き、とりなすことを選ばれました。聖書は言います。
「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)