「今そうでないからといって、だれが私をまやかし者だと言えよう。だれが私のことばをたわごとにしようとするのか。」(25節)
ヨブは因果応報を絶対とするエリファズに対して反論します。
「エリファズさん、あなたは因果応報がいつも絶対だと言うけれども、この世の不条理をどう説明するのですか?嘘をつかないでください。絶対じゃないじゃないですか!」
ヨブ記が私たちに問うていることは、私たちの動機です。もし、ヨブが主張するように、因果応報がこの世において必ずしも絶対ではないとしたら、
「それでもなお、あなたは正しく生きますか?」
「自分が願っていたように扉が開かれなかったとしても、それでもなおあなたは主を信頼し、善を行い続けますか?」
ということです。そもそも、イエス・キリストの十字架は不条理の極みです。しかし、神はこの不条理の極みである十字架の上でご自身を現されました。十字架は悲劇の象徴ではなく、天国の入り口です。