「だれか私に聞いてくれる者はないものか。見よ。私を確認してくださる方、全能者が私に答えてくださる。」(35節)
31章は、ヨブのフラストレーションを感じ取ることができます。
「もし・・・」
と、7つの状態を提示し、それらに何かひっかかる所があるなら、因果応報は成立するから納得できると言います。
「私の言い分を聞き、私の立場を理解してくれる者はいないのか。だれが何と言おうと、わしは正しい。もし、間違っていたら、全能者がそれを指摘すればよい。」(LB)
ヨブは因果応報の論理から言えば、不当にひどい目にあっていると主張します。
聖書が私たちに教えていることは、因果応報の中に神を納めてはいけないということです。私たちが理解できることは限られていますし、神は因果応報の法則に縛られるお方ではないからです。ですから、因果応報を土台にして生きていく生き方は、もろい生き方になってしまいます。