「私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。」(6節)
スポルジョン師は、
「涙は、液体の祈りで解釈はいらない」
と言います。新共同訳では次のように訳しています。
「わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。」
感情的だと問題視する人もいるかもしれません。しかし、このような涙の祈りはイエス様ご自身もなされた、聖書的な方法です。
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」(ヘブル5:7)
もちろん、涙を流せばいいという意味ではありません。イスラエルに「泣き屋」がいましたが、人はうわべを見ますが神は心を見ます。大事なのは私たちの内側であり、私たちの砕かれた心を神は軽視することはありません。