「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」(12節)
「喜び」はクリスチャン生活のしるしの一つです。「ハッピー」(happy)とは違います。出来事(happening)に左右されるものではないからです。「喜び」は神との関係がもたらせるものです。もっともダビデ王は罪を犯した時、救いの喜びを失いました。罪は神との関係を壊すからです。罪のゆえにダビデ王は神の臨在を感じることができなくなりました。罪は喜びを奪います。しかし、希望はあります。
「もし、自らの罪を神に告白するなら、神は真実な方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9LB)
罪を悔い改め、神に立ち返る時、神は救いの喜びを回復してくださいます。「喜んで仕える霊」とは、自発的に神に仕える思いです。神は私たちを喜びで満たし、神の働きに自発的に加わって欲しいと願われています。