「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。」(10節)
主の大庭にいる一日は、この世の千日にまさると詩人は言います。主の大庭とは、主のおられるところ、主の臨在、主のリビングルームのことです。メッセージ訳では、
「主を礼拝するところ」
と訳しています。それは、
「ギリシャの島々のビーチで過ごす千日にまさる」(MSG)
と。私たちはどうでしょうか。毎週日曜日、主を礼拝している時に、リゾート地で過ごすときよりもはるかにすばらしい時を過ごしているという自覚をもっているでしょうか。もしもっているならば、5,6節の約束を体験することでしょう。
「主の力を頂き、あなたに従って歩むことをほかの何より願う人は幸いです。そのような人にとっては、涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう。」(LB)