「主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。」(1節)
イスラエルの人々の祈りは、主ご自身が彼らの王となることでした。王が意味することは「統治」です。「神が統治する」、これ以上の良い知らせはありません。神の統治は、イエス・キリストの十字架によって、この地にもたらされました。憎しみと争いが統治するこの世界に、愛と赦しの統治を十字架によってもたらしました。十字架の上でキリストは祈られました。「父よ、彼らを赦したまえ。」神の愛と赦しの統治は、死をもって終らせることはできませんでした。キリストは死の力を打ち破り、よみがえられました。神の愛と赦しの統治は、今も、広げられています。私たちは憎しみの力に負けてはいけません。十字架と復活のイエスを見上げて、神の愛と恵みの統治の知らせを伝えていかなければなりません。
「神は統治される。叫ぶ何かがあります。」(1節MSG)