「耳をそむけて教えを聞かない人は、その者の祈りさえ忌みきらわれる。」(9節)
この箇所を現代訳ではこう訳しています。
『御言葉に耳を貸さない者は、祈っても答えられることはない。』
祈りとは自分の思いのままに神を動かすことではなく、主の祈りにあるように、神のみこころが天で行われているように、この地にもたらされるためにあります。神のみこころは、聖書のみ言葉に耳を貸さなければ分かりません。神のみこころに反する願いが答えられることはありません。聖書は言います。
「いくら願い求めても手に入らないのは、その目的や動機が間違っているからです。自分を楽しませることのみ求めているからです。」(ヤコブ4:3LB)
神は私たちを愛し、その祈りに喜んで耳を傾けてくださいます。すべてを働かせ最善をなしてくださいます。しかし、聖書を開いて神の御言葉に耳を傾けようとしないならば、祈りが聞かれないと言うことはできません。