「わが愛する者が娘たちの間にいるのは、いばらの中のゆりの花のようだ。」(2節)
谷間のゆりのように、花嫁はいばらの中のゆりのようだと言います。これがイエス・キリストが教会を見る目です。私たちは罪の問題があるこの世界に存在しています。しかし神は、私たちにある美しさに目を向けられているというのです。時には、自分たちも汚染されてしまっているように感じる時があります。でも、キリストは私たちを見て、私たちの美しさを見るというのです。私たちをいばらとは見ないのです。なぜならば、キリストが私たちのためにすでに十字架の上で死んでくださったからです。イエス様の十字架は自分のためだったと信じ受け入れるならば、私たちはキリストの血潮によって美しくされるのです。たとえ、私たちの汚れが緋のように赤くても、雪のように白くする力があるのです。