「そのうえ、私は、私の神の宮を喜ぶあまり、聖なる宮のために私が用意したす べてのものに加えて、私の宝としていた金銀を、私の神の宮のためにささげ た。」(3節) ダビデは「全力を尽くして、私の神の宮のために用意をした」(2節)だけでな く、喜びのあまりそれに加えて捧げたとあります。神様に捧げることは喜びで す。私たちは受けるためにではなく、捧げるために生きています。29節にこう 書いてあります。「こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物につい て喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで主にささげたからである。ダビ デ王もまた、大いに喜んだ。」捧げることが喜びだと言う世界を体験するために は、みずから進んで、自発的に捧げる姿勢を持つことが大事だと思います。です から使徒パウロもこう言っています。「ひとりひとり、いやいやながらでなく、 強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛し てくださいます。」(Ⅱコリント9:7)