「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」(7節)
聖書の神はすべての人の神です。神は言われます。
「わたしの祝福は、神を信じる外国人にも及ぶ。彼らに、『主は私たちを劣った者とする』と考えさせてはならない。」(3節LB)
神の目には人種差別はありません。
「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」
は6節にあるように神を信じる外国人に約束したものです。この文脈を心に留めてイエス様がこの箇所を宮きよめの箇所で用いたことを理解する必要があります。イエス様が「強盗の巣」(マルコ11:17)と呼んだのは、当時の宗教指導者たちが外国人の祈りの場を盗んでいたからです。
教会は、すべての民の祈りの家です。