「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(15節)
LBでは後半部分をこう訳しています。
「わたしは謙遜な人を生き返らせ、悔い改めた人に新たな勇気を起こさせる。」
聖書の言う「謙遜」とは自己卑下することとは違います。自分をかわいそうに思うことではありません。自分は神が必要な存在であると認め、神と共に生きることです。自分は有限な被造物であり、いと高き、永遠の住まいに住む、無限な創造者ではないと認めることです。神を神として認めることです。自分中心(自己実現)の人生から神中心(神実現)の人生に方向転換(悔い改め)する時に、神は私たちに新たな勇気を起こされます。