「彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福だった。それが、わたしを知ることではなかったのか。―主の御告げ。―」(16節)
人は行いによってではなく、神の一方的な恵みによって救われるというのが、聖書が教えている内容です。しかし、それは、好き勝手な生き方をしても大丈夫という許可証ではありません。この箇所で、神を知ることとは、正義を行うことだと言います。神を本当の意味で知っているならば、不正を行い続けることは不可能です。なぜなら、神は正義の神だからです。LBではこう訳しています。
「彼は貧しい人や困っている人に正義と援助の手が差し伸べられるようにした。それで、何事もうまくいったのだ。このような人こそ、神のそば近くにいることができる。」
貧しい人や困っている人に正義と援助の手が差し伸べられるようにすることが、私たちの人生の祝福となります。