「その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。」(28節)
預言者エゼキエルは主の栄光を見、主の声を聞きました。それは、使徒パウロも体験したことでした。
「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。」(使徒9:3,4)
エゼキエル書は主の栄光が神殿から離れ、再び戻ってくるということが預言されている書です。パウロの時代のユダヤ人たちは主の栄光はまだ戻ってきていないと考えていました。当然、パウロは尋ねます。
「主よ。あなたはどなたですか。」
すると、
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(5節)
とお答えがありました。
イエス・キリストこそ生ける神の神殿、主の栄光です。