「わたしがあなたの行ないに仕返しをし、あなたのうちの忌みきらうべきわざをあらわにするとき、あなたがたは、わたしがあなたがたを打っている主であることを知ろう。」(9節)
聖書の中で神の名前は、色々な表現で出てきます。創世記22章では、
「アドナイ・イルエ」(14節)「備え主」。
エレミヤ23章では、
「主は私たちの正義」。
さらに士師記においては、
「アドナイ・シャローム」(6:24)「平和の主」。
今日のエゼキエル書の箇所では、
「あなたがたを打つ主」
として記されています。「あなたがたを打つ主」というのは、あまり嬉しくない表現です。しかし、正義の神は罪を打たないわけにはいきません。ですから、イエス・キリストが私たちの身代わりとなって、あの十字架で打たれました。
「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)