「この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは、イスラエルの家の長老たちがおのおの、暗い所、その石像の部屋で行なっていることを見たか。彼らは、『主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた。』と言っている。」(12節)
当時のイスラエルの指導者たちは、
「主は私たちを見ておられない」
と、人々を偶像礼拝へと導いていました。しかし神はエゼキエルに、神がしっかり見ておられることを示しました。私たちの神は見ておられる神です。17節を見ますと、神の心が引き裂かれていることを感じます。
「見たか。こんなひどい罪を犯して、国全体を偶像礼拝に導き、わたしを鼻であしらって・・・」(LB)
神が見捨てたわけではありません。人々が、神を見捨てて、偶像礼拝に落ちていってしまったのです。問題の中で、私たちはどこに助けを求めているでしょうか。神は、私たちが他の何かではなく、神ご自身を求めることを待っておられます。