「主の栄光がケルブの上から上り、神殿の敷居に向かうと、神殿は雲で満たされ、また、庭は主の栄光の輝きで満たされた。」(4節)
神の神殿にとって一番の悲劇は、神の栄光が離れさることでした。これは申命記31章に預言されていたことでもありました。「彼らが滅ぼし尽くされ、多くのわざわいと苦難が彼らに降りかかると、その日、この民は、『これらのわざわいが私たちに降りかかるのは、私たちのうちに、私たちの神がおられないからではないか。』と言うであろう。」(17節)神の栄光が離れ去る原因を申命記では次のように記しています。「あれほど禁じたのに外国の神々を拝む者には、わたしもきっぱり背を向けるだけだ。」(18節LB)教会が教会であるために、主の栄光、主の臨在は不可欠です。教会は主の臨在で知られるところでなければなりません。そのためには、私たちはイエス・キリストだけがあがめられるように守る責任があります。主の栄光、主の臨在が、主の教会に満ちていますように。