「それから、彼が東向きの門に行き、その階段を上って、門の敷居を測ると、その幅は一さおで、もう一つの門の敷居も幅は一さおであった。」(6節)
ユダヤ人たちは、エルサレムに「上って」行くと言います。彼らが神殿につくと、「階段を上って」門の敷居に行きました。まさに彼らは階段を上っていくことによって、神を礼拝することが、引き上げられる体験であることを意識していたのです。神は私たちを引き上げられるお方です。この世界には私たちを傷つけ、貶めるものが多々あります。しかし、神は私たちを礼拝に招き、私たちに語りかけます。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
神に礼拝を捧げる中で、賛美と祈りを捧げる中で、私たちの霊も信仰も引き上げられていきます。今日は主の日。神は今日も、私たちを引き上げるために、私たちを招いています。共に、礼拝を捧げましょう。