「祭司たちは聖所にはいったなら、そこから外庭に出てはならない。彼らが奉仕に用いる服は神聖だから、それを脱いで他の服に着替えてから民の所に近づかなければならない。」(14節)
ピリピ書にこういう箇所があります。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(2:6,7)
私たちの大祭司であるイエス・キリストは、私たちのところに来るために、「神のあり方」を脱がれて、人となってこの地に来てくださいました。完全な神が、完全な人となられたのです。私たち人間に近づくためには、「神のあり方を捨てる」以外にはなかったのです。無限の神の御子が、私たちに近づくために有限な人間になられた意味を考えたいと思います。