「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」(3節)
「知る」というのは、単に知的に知るという意味ではありません。体験すると言う意味があります。神を体験することを切に追い求めるように聖書は語っているのです。神を体験するためには、聖書の神のみことばに生きる必要があります。祈り、聖霊の導きに従う必要があります。それは時には信仰の冒険が求められます。LBではこう訳しています。
「ああ、主を知りたい。さらに主を求めよう。そうすれば、必ず夜明けが訪れ、早春の雨期が来るように、必ず答えてくださる。」
私たちが神を体験することをせつに追い求めていく中で、神は必ず報いてくださいます。