「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(9節)
やられたらやりかえす、それが普通の感情だと思います。しかし、聖書の生き方は違います。私たちは祝福を与えるようにと命じられています。なぜなら、私たちは
「祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」
私たちの存在が、神の御国をこの地に現わすものとなるためには、祝福を祈る者となる必要があります。聖書は言います。
「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」(10‐12節)
私たちは、日々、聖霊の力を祈り求める必要があります。