「テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、地震の二年前に、イスラエルについて彼が見たものである。」(1節)
アモスは南ユダ王国に住む羊飼いでした。つまり、訓練を受けた預言者でも、地位のある指導者でもなかったのです。しかし、神はアモスを呼び、語り、用いました。聖書にこういう箇所があります。
「神様は、この世では愚かな者、弱い者と思われている人々をあえてお選びになりました。それは、この世で知恵ある者、りっぱな人とされている人々を辱めるためです。神様は、この世で見下されている者、取るに足りない者を選び、そういう人々を役立てることによって、力を持っている人を無きに等しい者とされたのです。ですから、どこのだれであっても、神の前で誇ることはできません。」(Ⅰコリント1:27-29LB)
どんな人でもその心が神と一つとなっている人を神は用います。