「見よ。その日が来る。―神である主の御告げ。―その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」(11節)
私たちは日々、聖書を開き「主のことば」を聴くことができます。しかし、主の日に教会で聖書が開かれ、主のことばが語られることがなければ、それはまさに飢饉が起こり始めています。聖書のみことばよりも人々が好む話ばかりするようになったら、それは飢饉です。ですから聖書は警告します。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(Ⅱテモテ4:2-4)