「私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。」(7節)
人は、魚の腹の中にいるような状況に追い込まれなければ、なかなか神を叫び求めることができないという所があると思います。しかし、たとえそこまで追い込まれても、主を思い出すことも、叫ぶこともなければ、これほど無意味なことはありません。主を思い出して、主に叫び求めることが出来れば、主は必ず助け出してくださいます。ある牧師はこう言います。
「私たちが自分の力ではどうしようもない問題に追い込まれることを神が許される理由は、私たちが神を求め、神との関係に戻って欲しいからだ。」
神が災いをもたらすわけではありません。私たちが災いを選んでしまうのです。でも、神があえて私たちが災いを選んでしまうことを許されるのは、私たちが神のもとに帰るためです。