「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(3節)
「交わり」と訳された言葉は、「共通のものを共有する」という意味があります。使徒ヨハネが、この文脈で主張している共通のものとは、「御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」それはつまり、「生ける神、イエス・キリストを現実として体験」すること、「生ける神の臨在を共有する」ということです。私たちは使徒ヨハネが体験したように、キリストをこの目で直接見たり、聞いたり、触ったりすることはできません。しかし、私たちもヨハネとおなじように、「生ける神の臨在を共有」できると言います。ペンテコステの日に聖霊が臨み、「生ける神の臨在」は、今、キリストを信じる人々の中に回復されます。教会は「生ける神の臨在の民」です。