「彼はすべて、主の目にかなうことを行なった。父ウジヤが行なったとおりである。ただし、彼は、主の神殿にはいるようなことはしなかった。民はなお滅びに向かっていた。」(2節)
ヨタム王は、父ウジヤ王のように、主の目にかなうことを行う王でした。しかも、ウジヤ王のように傲慢になって自分の分を超えることもしませんでした。しかし、南ユダ王国の人々は、それでもなお「滅びに向かっていた」と聖書は言います。それはつまり、神様に背を向け続けていたということです。民がみな、神様の方に向いているならば、自分が神様の方に向くことはそんなに大変なことではないかもしれません。しかし、民が滅びに向かっているのに、その流れに逆らって、自分は神様の方に向くというのは、とても大きな力が必要なことだと思います。
「主よ、周りに流されることなく、主の方に向くことができるように、力を与えてください。」