「私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。」(18節)
祈りは、私たちの善行に土台しません。神の大いなるあわれみに土台しています。あわれみとは何でしょうか?辞書ではあわれみを二通り定義しています。
一つ目は、「罰することを止めること」。
二つ目は、「予期せぬ親切」。
神のあわれみにもこの二通りを見ることができます。赦しの側面と共感の側面です。赦しの側面は、私たちがどんなに罰を受けるのにふさわしくてもそれを控えられること。共感の側面は、予期せぬ親切をもって私たちを助けてくださること。神のあわれみのゆえに、神はあなたが許しを求め、助けを求めるように招かれています。