「行って、見つかった書物のことばについて、私のため、イスラエルとユダの残りの者のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、主のことばを守らず、すべてこの書にしるされているとおりに行なわなかったため、私たちの上に注がれた主の憤りは激しいから。」(21節)
ヨシヤ王は、神様を熱心に求め、ないがしろにされていた神殿を修復し始めました。その時、ほっぽらかされていた聖書を見つけました。そして、聖書の教えから遠くはなれた自分たちの姿に愕然としました。時代は繰り返します。中世の暗黒時代、マルチン・ルターは聖書を学ぶ中で、ヨシヤ王と同じように聖書の教えから遠くはなれた教会の姿に愕然とし、宗教改革が起こりました。いつの時代も私たちは問われます。聖書をないがしろにしていないでしょうか。聖書を読み、聖書を学び、信仰と人生の規範として聖書に生きることを心がけているでしょうか。聖書は誤りなき神のことばです。