マタイ20:20-34

「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(28節)

イエス・キリストの十字架の死には様々な意味が込められています。一つは、私たちの罪の身代わりとして、贖いの代価として死なれたということです。罪の報酬である死は、キリストの十字架によって支払われました。ですから、今、誰でもイエス・キリストを信じるだけで救われます。イエス様はまた、私たちのために死なれたのは、私たちに対する究極的なお手本でもあると言いました。神の御国の秩序は、仕える者になることによってもたらされます。神の御国では、権力や能力ではなく、仕える姿勢が優先されることを十字架は示します。仕えられるためではなく、仕えるために、私たちはこの地上に生かされています。

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