「そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。」(13節)
神殿の礎が据えられた時、ある人は喜び叫び、ある人々は泣いたとあります。同じ出来事に対しても、私たち人間の反応というのは違うものだと思います。このことを意識することはとても重要です。神様に礼拝をささげる時、ある人は喜び叫び、ある人は泣き、ある人は静まり、ある人は笑います。私たちが気をつけないといけないことは、神様が臨まれている時の私たちの感情を決め付けることはできないということです。涙を流さなければ聖霊に満たされていないというわけではありません。喜び叫んでいなければ、聖霊に満たされていないわけではありません。聖霊なる神様の働きには多様性があることを認めることはとても大事なことです。重要なのは表面に出てくる感情表現ではなく、生ける神様が臨まれることです。