「それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。」(15:5)
イエス様が沈黙されたのには理由がありました。それは、イザヤ書53章に出てくる、「苦難のしもべ」です。こう記されています。
「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(イザヤ53:7)
イエス様は、ご自身をこの「苦難のしもべ」というメシアであると示されたということです。この「苦難のしもべ」が成し遂げることを、イザヤはこう預言しています。
「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)
イエス・キリストの十字架は、私たちの罪のため、私たちに平安をもたらし、いやすためでした。