「さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり」(4:1)
これはとても不可思議な箇所です。
「さあ、今、私についてきなさい。」
「どこに行くんですか?」
「荒野に行きます。」
「荒野で何があるんですか?」
「あなたは、悪魔に誘惑されるんですよ。」
「あなたは、わたしを愛してるといったじゃないですか。」
「そうですよ。」
「わたしを喜ぶといったじゃないですか。」
「そうですよ。」
「それでは、わたしはどこに行くんですか?」
「悪魔に誘惑されるために、荒野に行くんですよ。」
「わたしが、何か悪いことしましたか?」
「いいえ、わたしはあなたを喜んでいますよ。」
「で、どこに連れて行ってくださるのですか?」
「荒野ですよ。」
「???」
神はあえて愛する者が試みに会うことを許されます。それは、神は私たちの歩みを気にかけておられるがゆえに、
「荒野で恵みを見出す。」(エレミヤ31:2新改訳二〇一七)
という世界を体験させたいからです。