「私たちの父祖の神、主はほむべきかな。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、王と、その議官と、すべての王の有力な首長の好意を私に得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」(27,28節)
神様は、アルタシャスタ王をはじめ、ペルシャの有力な人たちが、好意をエズラに与えるようにと働きかけられました。神様はどんな人の心にも働きかけ、主に栄光が帰されるために、主の民に好意が与えられるように導かれるお方でもあります。人の感情というのは、そもそも非論理的なものです。好意と呼ばれるものも、とても主観的なものです。しかし、そのような思いを、神様は起こさせることができるお方であるということを心に留めて祈り続けることは大事だと思います。
「主よ、好意を受けられますように。」