「そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」」(12:41)
ペテロの質問は、聖書を読む時に誰もが疑問に感じることだと思います。
「主よ。今のお話は、私たちにだけ話されたのですか。それとも、ここにいるみんなのためなのですか。」(LB)
イエス様の答えは明確ではありません。しかし、この話の中の主人が、イエス様のことを指していることは確かです。そして、イエス様が再び来られること(再臨)は確かです。
「主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。」(47節)
教会という文脈における責任認識の問題は明確です。ここでは、イスラエルという国の責任も問われています。すべての人はやがて、義務を果たしたかどうかが問われます。ただ、
「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。」(48節)