「また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。」(21:2)
イエス様は
「献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた」(1節・新改訳2017)
とあります。献金はしてもしなくてもいいものではありません。私たちが捧げる姿をイエス様は見ておられます。レプタ銅貨は、最小単位の銅貨で一日分の労賃の一二八分の一に相当します。(レプタ銅貨二枚は128円ぐらい?) ちいろば先生はこんなことを言っています。
「献金は、神への感謝のしるしであり、その感謝は、神に対する信頼から起きてくる感謝でなければならない。(中略)この寡婦の献金は、全生活が神に支えられているという彼女の信仰の告白であったから尊い。」
「わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」(マラキ3:10)
とおっしゃられる主は、私たちの信仰をご覧になっています。